島津家は、初代の島津忠久から現在まで、約800年以上にわたり血統を繋いできた稀有な家系です。その歴代当主は以下の通りです。
歴代当主一覧
- 島津忠久(しまづ ただひさ):初代当主。平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍し、源頼朝の御家人として島津荘地頭、薩摩国守護に任じられ、島津氏の礎を築きました。
- 島津忠時(しまづ ただとき):二代当主。 文武の才、薩摩の礎
- 島津久経(しまづ ひさつね):三代当主。激動の時代を駆け抜け、島津の歴史を刻んだ武将。
- 島津忠宗(しまづ ただむね)四代
- 島津貞久(しまづ さだひさ)五代
- 島津師久(しまづ もろひさ)
- 島津宗久(しまづ むねひさ)
- 島津元久(しまづ もとひさ)
- 島津久豊(しまづ ひさとよ)
- 島津忠国(しまづ ただくに)
- 島津忠昌(しまづ ただまさ)
- 島津忠治(しまづ ただはる)
- 島津忠隆(しまづ ただたか)
- 島津忠新(しまづ ただあたら)
- 島津貴久(しまづ たかひさ):戦国時代の当主。同族争いを収めて薩摩・大隅の2国を統一し、島津氏繁栄の礎を固めました。ザビエルにキリスト教布教を許可したことでも知られます。
- 島津義久(しまづ よしひさ):安土桃山時代の当主。弟の義弘、歳久、家久とともに九州統一を目指し、一時は九州全域を支配しました。豊臣秀吉の九州征伐後も領土を安堵されました。
- 島津義弘(しまづ よしひろ):安土桃山時代から江戸初期の当主。兄の義久と共に九州拡大に貢献。関ヶ原の戦いでは西軍に属し、敗北後も所領を安堵されました。
- 島津家久(しまづ いえひさ):初代鹿児島藩主。琉球を支配下に置くなど、薩摩藩の基盤を確立しました。
- 島津光久(しまづ みつひさ)
- 島津綱貴(しまづ つなたか)
- 島津吉貴(しまづ よしき)
- 島津継豊(しまづ つぐとよ)
- 島津宗信(しまづ むねのぶ)
- 島津重年(しまづ しげとし)
- 島津重豪(しまづ しげひで):江戸後期の藩主。蘭学を導入するなど開明的な政策を採り、藩校造士館や医学院、明時館などを設立して文武・医学・天文暦学を奨励しました。
- 島津斉宣(しまづ なりのぶ)
- 島津斉興(しまづ なりおき)
- 島津斉彬(しまづ なりあきら):幕末の名君。集成館事業を推進し、洋式製鉄、造船、紡績など近代産業の発展に尽力しました。西郷隆盛や大久保利通らを登用し、倒幕への流れを作ったとも言われます。
- 島津忠義(しまづ ただよし)
- 島津忠重(しまづ ただしげ)
- 島津忠秀(しまづ ただひで)
- 島津修久(しまづ のぶひさ)
- 島津忠裕(しまづ ただひろ):現在の当主。
なお、島津家は現在も続いており、第33代当主は島津忠裕氏です。